「Sustainable Yawatahama」取材メモ ④地細工紺屋 若松

スタッフ・竹下です。八幡浜市ふるさと観光公社では現在、「Sustainable Yawatahama」と題した観光パンフレットの制作を進めています。“100年続く食の現場”と、“未来に残したいまち・ひと・歴史”をテーマにしたもので、たくさんの方々に取材をさせていただきました。その取材中に見聞きした、パンフレットには収まりきらないこぼれ話、裏話がたくさんあるので、「取材メモ」としてご紹介しています。

第4回目に登場するのは、文政5(1822)年の創業で、来年200周年を迎える「地細工紺屋(じざいくこんや)若松」さんです。
市の文化財にも指定されている菊池清治邸の斜め前にある建物は、江戸時代に建てられたもので奥行きが深く、現在でも店舗兼作業場として使われています。当公社が造成した「佐田岬E-BIKEガイドツアー」では、「真穴コース」の冒頭に、この歴史ある建物をご案内します。通りに面した間口からは、運が良ければ染の現場が見られるかもしれません(ガイドツアーは、現在新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から受入を中止しています)。

「地細工紺屋 若松」さんは、以前は「若松旗店」と名乗っていましたが、最近では「地細工紺屋 若松」と改めています。明治初期までには、日本の各村には「紺屋」(藍染屋)が1、2軒はできていたそうですが、その中でも細工の込んだ神社の大幟り(おおのぼり)や、襟や背に屋号や家紋などを染め抜いた印袢纏(しるしばんてん)をつくれる紺屋のことを、「地細工紺屋」と呼ぶそうです。「そうやって地域に根づきながら、様々な仕事に取り組んできたことが、いまに続く当店の歴史を支えています」と、ご主人の智さんと奥さんの留美さんはいいます。

若松智さん。唐獅子の型置きの作業中。

その作品は高く評価され、西宮神社を飾る大漁旗や国立歴史民俗博物館所蔵品も納品しているほか、道後の「飛鳥乃温泉」(あすかのゆ)の壁にも若松さんの作品が飾られています。さらに、アメリカ出身の東洋文化研究者で、日本各地で古民家再生に取り組むこの道の第一人者、アレックス・カー氏との親交も深く、カー氏が徳島県・祖谷(いや)に購入し、修復しながら居住した古民家「篪庵」(ちいおり)の陣幕も製作しています。カー氏といえば、以前自分が住んでいた五島列島の小値賀島(おぢかじま)の古民家再生にも取り組んでいたことから、少なからず縁を感じました。

若松留美さん。

さらに話をしていると、「五島列島といえば、うちには玉之浦があるのよ。活けたつぼみ付の枝があるから、よかったらどうぞ」と留美さん。「玉之浦」(たまのうら)というのは、ヤブツバキの突然変異種で、紅い花びらのまわりが白く縁どられたもので、自分が八幡浜市に来る直前に住んでいた、同じく五島列島・福江島の玉之浦地区で発見された世界的にも珍しい花です。ここでさらに縁を感じるとともに、玉之浦のその鮮やかな紅と白、そして雄しべの黄色は、まるでくっきりと染められた細工のように美しく、「地細工紺屋 若松」さんにぴったりな花だと思いました。

入口に飾られたお祝いの暖簾。左右には玉之浦も活けられています。

花といえば、お店の入り口に、百花の王「牡丹」があしらわれた浅葱(あさぎ)色の暖簾がかけられています。これは、女の子の初節句や嫁入りなどお祝いのときに、出し入れや収納が大変な雛人形に代わって飾ってもらおうとつくるようになったものだそうです。浅葱色は大漁旗や神主さんの袴にも使われる縁起のよい色で、そこに「牡丹」と長寿の象徴「丹頂鶴」、さらに生命感溢れる若い松を象った「若松の文様」と、いずれもおめでたい図柄が配されています。「私たちがつくるのはお祝いのものばかりで、とてもやりがいのある仕事です」と若松さん。そのことばの奥に、200年続く地細工紺屋の誇りと使命感を強く感じました。

※パンフレットは3月頃に完成予定です。